有機農業への道 1

1年ほどいろいろとお世話になった長野市信更町高野のYさんの元を離れる事になりました。長野市篠ノ井にアパートを見つけて、家族で大晦日の日にあわただしく引っ越しました。電気とガスはもう通っていましたが、電灯もガス台もないというような状況でした。元日から開いているスーパーへ行って生活用品を買い揃え、あわただしい正月を迎えました。耕すべき畑もなく、農機具も何もいっさいなく、農業への取り組みは全く一からのやり直しという事になりました。生活費を稼ぐため、Yさんのところにいたときから始めていた家庭教師の仕事を増やしました。家庭教師なら、学生時代に経験があるし、夜の仕事だから、昼の農業の仕事と両立できるかもしれないと思ったからですが、収入も安定せず、3月の受験シーズンが終わると、仕事も激減し、収入が途絶える時期もありました。その当時は農業をやろうというどころではなく、まずは家族4人で何とか生活していかなければならないという切迫した状況でした。家庭教師の仕事が増えるまで、青果市場の野菜の仕分けのバイトも始めました。朝5時から5・6時間日曜日以外は毎日働きましたし、セブンイレブンへ惣菜類を納品する工場で短期のバイトも経験しました。その後次第に家庭教師の仕事も増え始め、家庭教師を斡旋する協会と専属の雇用契約も結び、苦しくはありましたが、安定した収入も得る事も出来るようになって来ました。そんな時期に新聞で長野市松代で家庭菜園の畑を希望者に貸し出すという記事を見つけ、応募したところ幸運にも一区画借り受ける事ができました。こうして再び土を耕す生活が一部自分の日常生活の中に入ってきました。
でも車で20分近くかかる畑でしたので、毎日通うというより休みの日曜日に家族で出かけ、土いじりをするというような感じでした。子供達もまだ保育園に通うような年でしたのでかわいい盛りで、今でも家族で畑に通う車中の雰囲気が忘れられません。家庭教師の仕事や市場の仕事で非常に忙しかったのですが、毎週日曜日には家族でのんびり出来ましたので幸せな日々でした。畑で草取りをしてから、近くのプールで水遊びをしたり、買い物をしたり充実した時間でした。このままこんな生活をしていくのも悪くはないのかなとも思っていました。

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