有機農業への道 2

 

長野市の塩崎で新しくアパートを借りて、松代の市民菜園へ日曜日に家族で畑に出かけるという生活が始まりました。なかなか楽しい時間ではあったのですが、仕事の面では実に忙しい日々でした。家庭教師の仕事が本格的になってきて、一日に5人ぐらいを毎日2時間ずつ教えるという日々でした。中学生や高校生、浪人生、不登校の子などいろいろな子を毎日朝から夜遅くまで教えるという日々でした。それ以外にも早朝市場で野菜の仕分けのバイトを平日毎日3時間ぐらいするなどまさに超人的なスケジュールだったと思います。元々資金を持って長野に移住したわけではないので、今までほとんど無収入だったしわ寄せを回収するため必死に働きました。朝4時ごろ起きて市場に出かけ野菜の仕分け作業をしてから10時ごろには1件目の家庭教師の仕事。一旦家に戻って昼を食べてから、また午後の2時ごろから2件目の家庭教師、続いて5時から、7時30分から、10時からという感じで家庭教師をこなし家に帰ると12時を軽く回っていました。そんな感じで月曜から土曜までぶっ通しで仕事をし日曜日にはようやく休めるという感じでした。それでも生徒の試験が近くなると日曜日も関係なく教える事もありました。家庭教師は大学時代に経験はありましたが、もう時間も随分と経っているので忘れている事も多く、中学から高校生までのあらゆる学年の勉強を教えるという事はなかなか難儀なことでした。それでもつかの間の時間を利用して、高校の数学・英語・物理・化学・生物を独習しました。何でも教えてくれる先生という事で評判も立ち家庭教師の仕事は順調でした。
でも農業をするために長野来たという思いは常にあったので、その当時いろいろな自治体でIターン者を受け入れるための住宅を建設していましたので、平谷村や美麻村にその場所を見学にも行きました。大岡村は畑つきの住宅で、家賃も安く魅力的でしたが、あいにく申込者がいっぱいですでに締め切った後でした。こうして信州新町の役場に空き家情報を探しに行ったのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です